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松本 洋二 回顧展 |
松本洋二さんは2020年2月亡くなられました。
過去のネット展に出品いただいた作品を一堂に展示して偲びたく回顧展を開催いたします。 |
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松本洋二さんを偲ぶ
生駒芳正 |
私が最初にお会いしたのは、博多の中洲、未だ肌寒い昭和40年2月頃でした。 エレクトーン
C-1 を演奏してた時、当時未だ知る人の少なかった モダンジャズの名曲ジャンゴ(Django)
をリクエストされたので、 驚いて、直接お会いしての会話からでした。(昭和40=1965年)
色々と会話して解ったことは、並外れた音楽知識と音楽一家だった事 其れというのも、
あのテナーサックスで世界的に有名な柗本英彦氏の実兄との事。これは一大事でした。
私が前に所属していたJOHG=NHK鹿児島 鹿児島時代に良くご一緒したスリーピー(英彦の愛称)
の実兄とは! 松本洋二さんは『ヒデ坊』と呼んでました。
意気投合 そこで、ヤマハの講師の皆様のお手伝いをする事で話がまとまり、 松本さんの企画
によりエレクトーン6台を使ってのアンサンブルで、 ミュージカル名曲集を演奏して、当時の
労音に売り込み、 福岡県内を演奏旅行、出演料をしこたま稼がせて頂きました。
その後 設立したばかりのヤマハ音楽振興会(財団)にてお世話になることになり、 お陰様で
放送業界に居たら決して出来なかった事を一杯経験させて頂き 感謝の念で一杯です。
1972年、海外(Mexico)に派遣されることになり、ここでも大変お世話になりました。
【小生1982年迄駐在】 それは、学校音楽の分野でした。
彼は、ヤマハ音楽教室の指導法を開発した中心人物だったので、 全学童に自分の楽器を
持たせることで、情操教育を充実させ、より高い効果を 期待する。これが現地に受け入れ
られて,メヒコ、グァテマラ、コスタリカ、 パナマ、ベネズエラ、コロンビア、アルゼンチン、
と殆ど中南米全域に その後東南アジア、全域、ヨーロッパと大忙しの業務でした。
個人持ち楽器とは、フラウタ•ドゥルセ【スペリオパイプ又はリコーダー】 現地のプラス
ティック玩具製造工場と交渉して現地生産をさせることで リーゾナブルな値段で全学童に
楽器を持たせる。 当然、山株より金型の提供のバックアップがあって実現、当時の 現地
駐在員の忙しく働いてたのが眼に浮かびます。
加えて、松本人脈に助けられた大仕事も忘れられません。
生駒芳正(記)
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2015年ネット展 コレクション部門 |
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篆刻 |
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