ヤ マ ハ メ モ リ ー ヤマハ銀座店建物の歴史  宮崎 研二
                                                                
                                                                出品者一覧へ戻る
ヤマハ銀座店建物の歴史 その2 
 
ヤマハ銀座店の大正時代後期から昭和戦後まで、 レーモンド設計のヤマハ銀座ビル(日本楽器東京支店ビル)が出来る前までから6点お送りします。

①関東大震災直後の銀座通り

大正12年(1923年)9月1日12時頃。写真を見ると人々が通りに出てきています。 地震直後では建物はさほど倒壊していませんが、 この後数か所より火災が発生し銀座~築地は焼け野原となってしまい大打撃を受けてしまいます。 この写真の右端に「信盛堂洋品店」の看板が見えます。 この洋品店はヤマハ銀座店の左隣にあった店です。かすかにヤマハ銀座が映っています。
 
 ②震災後復興頃の銀座通り

歩道の下に「共益」「商社」の看板が置いてあります。隣の「信盛堂洋品店」の看板が見えますのでその隣がヤマハ銀座店(東京支店)を思われます。 震災後はバラック建築(粗末な小屋、仮建物)として復興していきます。  
 ③昭和初期の銀座通り

左側映っているに三角屋根の建物がヤマハ銀座店(日本楽器東京支店)です。
バラック建築ですが大きな建物です。  
 
 
 ④三角屋根のヤマハ銀座店(日本楽器東京支店)の正面写真

 正面のファサード壁面の形状が変わっています。この三角屋根の建物は戦後昭和26年オープンのレーモンド設計のヤマハ銀座ビルが完成するまで、数年ごとに小改装が続いたと言われています。  
 
 
 ⑤「近代銀座行進曲」(広告冊子)昭和14年発行に掲載されたヤマハ銀座店の広告
 
⑥同じく「近代銀座行進曲」昭和25年発行に掲載されたヤマハ銀座店の広告
このあとに火災類焼にあいレーモンド設計のビル建築へと進んでいきます。    
 
 


* BGMの「川の流れのように」は楠 司郎さんのハーモニカ演奏曲です   
 
 
 
出品者一覧へ戻る                                  ページの始めへ戻る