ギャラリー部門 パイプオルガン論文 長谷川尚敏

                                                               出品者top一覧に戻る 
  パイプオルガンに就いて


 (A)1932年(昭和7年)パイプオルガン国産第一号設置の
     「聖テモテ教会」(東京)の奉献を祝い当社が作成した冊子
 (B)昭和7年1月29日付け新聞記事(浜松工場で仮組み) 
 (C)1997年10月1日発行 「日本リードオルガン協会(第3号)」
    会報(オルガン技師 齋藤葵一の写真)
  

   【A:冊子の入手経路と、その補足】

  1986年~1994年 パイプオルガン業務に関わっていた時、聖テモテ教会を設計された建築家(吉田)のご家族からコピーを 
    戴きました( 冊子表紙の左上に「T.Yoshida」のイニシャルと「1932.4」、吉田さんは、東京中央郵便局等を設計された吉田鉄郎氏と
    思われますが戴いた時は確認まで考えていませんでした。コピーは、在籍したパイプオルガン課に置き、私はそのコピーを所持 )
内容は、
 リードオルガンと パイプオルガンの歴史と構造、キリスト教伝来、国内に設置の全パイプオルガン(計20台)。 全54ページ。
 これは、 半世紀後の1985年~2004年、 日本オルガニスト協会「日本のオルガンⅠ、Ⅱ、Ⅲ」 として 21世紀初頭までの
 国内設置全パイプオルガンを網羅する仕様説明の本に発展しました。

   【B:新聞記事と、その補足】   

 30年前にはあった 日本楽器和田工場リードオルガン職場 の先輩OB(中村様)から戴いたものと思われます。 ゴム印で
 「HAMAMATSU  SHIMBUN」「総額7,000」とあります。この方からは後述の「日本楽器横浜工場製 西川オルガン
 のカタログコピーも戴きました。

   【C:「日本リードオルガン協会」会報記事と、その補足】

 これは後述の「齋藤葵一技師」を知る 坂田亮一様 の調律回顧録です。   坂田亮一様は、1918年に 西川風琴製造所入社
 (その3年後日本楽器に吸収となりました)。 面談は1996524日実施。当時91歳、インタビュアーは日本リードオルガン
   協会 赤井励会長  と 和久井輝夫さん( リードオルガンの 修理・修復では 現在日本で一番多くの実績を持つ技術者、 浜松在住
    の ご子息も技術者であり日本リードオルガン協会運営委員 

 齋藤葵一の写真が掲載されていたので協会会長の許可を戴いて、ネット展資料の一部としました。  当時の齋藤葵一は
 日本楽器オルガン課長、その弟は日本楽器東京支店での同僚とのことです。 オルガン関係者の間で高く評価されている
 西川のリードオルガンとヤマハのリードオルガンの違いなどが書かれていて興味深いものがあります。


    《ネット出展の経緯》

 「社史(昭和52年)・「ヤマハ100年史(昭和62年)に冊子の記載なく、 最近の当社ホームページには  冊子から と思 
 われる表現は見受けられるものの、その存在に触れた部分は見当たりません。パイプオルガン課の今は分りませんが、冊子
 の存在が社内で埋もれる恐れを感じ、何らかの形で残そうとネット展への出展を思いました。  
 説明文を書くに当っては、「オルガンの文化史」の著者であり、「日本リードオルガン協会」会長の 赤井励先生に ご助言
 を戴き、校正をお願いしました。 冊子の存在は オルガン愛好家・オルガニストの間では知られていました ( 日本オルガ 
  ニ スト協会発行「
日本のオルガンⅠ」 )が、課で見たことはなく、下記の文献にも見当たりません。

  「楽器業界 産 業界シリーズ46」檜山陸郎著  教育社新書                  (1977年 教育社)
  「上野奏楽堂物語」東京新聞出版局編                       1984年 東京新聞出版局発行)
      「オルガン物語」オルガンをめぐる人々  函館元町カトリック教会のリードオルガン       (1994年 工房マツモト)
  「オルガンの文化史」赤井励著                    (1995年 青弓社)  
  「日本のピアノ 100年」前間孝則・岩野裕一著                (2001年 草思社)
  「横浜 風琴 洋琴 物語」横浜市歴史博物館・横浜開港資料館編集        (2004年横浜市歴史博物館発行)
  「1885-1959ヤマハ草創譜 洋楽事始から昭和中期までの70年余をふりかえる」三浦啓市著       (2012年 按可社)
  「山葉オルガンの創業に関する追加資料と考察」武石みどり著    (浜松史蹟調査顕彰会「遠江」第27号抜粋)
  「オルガンの芸術」松居直美・廣野嗣雄・馬淵久夫編著               ( 2019年 道和書院)

  冊子入手後、 日本キリスト教団賛美歌委員会の委員に話したところ、全てのオルガン関係者は知った方が良いとのことで、
 「日本のオルガンⅡ」(日本オルガニスト協会1992年\15,000)に全54ページがそっくり掲載されることになりました。

       以下、( )内は、上記文献による補足説明、単に「オルガン」とあるのは「パイプオルガン」です。

 冊子P37P42に、時の2代に亘る商工大臣、徳川頼貞侯爵、東京音楽学校(現東京芸大)校長の祝辞があります。その中で
 侯爵は、「 ( 1918年に 建設した国内初の コンサートホール「南葵楽堂」用に 1920年輸入したオルガンの組立に際し )  英国から
   来た技師と共に組立に従事してその機構を習熟さしておいたのが、現在の日本楽器会社の齊藤技師で、この人が今回最初の
   国産オルガンの製造主任である事は自分として非常に満足する處である
」と述べた齊藤技師は、齋藤葵一氏です。
 また、昭和7129日付「HAMAMATSU  SHIMBUN」の齋藤技師談に「30年ばかり前からパイプオルガンの研究を続
 けていましたが、約20年前に徳川候の南葵文庫の英国技師と一緒に・・・
」(一部判読難の為推測)とあります。

      ↓クリック拡大
 P36テモテ、p37祝辞   P38,P39祝辞  PP40祝辞、P41感謝状 P42感謝状 


 上記文献によると、 1859年(横浜をかわきりに)開港し、国を挙げて 西洋文化を取り入れていたこの時代、  わが国には
 欧米の商社が進出し、高価なピアノ、リードオルガン(明治期最低800台以上)が輸入され、欧米人技師が調律・組立等を行
 なっていました。また 1872年学制発布により学校がリードオルガンを備えるようになったものの、輸入品は高価で国産化
   を進める機運が高まっていました。 多くの人が開発に取り組み、山葉寅楠 もその一人。  学校に 教材・楽器 を納めていた
   業者( 共益商社、三木佐助書店、十字屋-キリスト教会関係にも強かった-等 )出版社等に卸し、流通の力が  リードオルガンを
   産業に育てていったと言えます ( 後世から見ると、教材を扱った業者に卸した日本楽器と、キリスト教会に 強い業者に卸
   した西川とで、後継者問題と相まって運命を分けることになりました )。

 西川の説明を少し。「オルガンの文化史」によると、西川寅吉は千葉県君津生まれ。生年は184618491850年と諸説
 あるようです。若い時は三味線職人として優秀だったそうで、時代を考え 1876年頃には、横浜で英国人技師  W.A.Crane
 についてピアノ、オルガンの調律技術を覚え、1880年、一説には1886年に西川風琴製造所を創業。
 
W.A.Crane は1871年以降、輸入されたオルガンの組み立ても行なっていた、とのことです。今回の説明文を書くにあたっ
   てご助言を戴いた 赤井励氏は W.A.Crane の子孫(お孫さんかな?)との面識があるそうです。私がオルガン業務でドイツ
   のオルガン製作者を訪問した際、その会社に「1876年、1886年に日本に輸出」の記録がありましたが、 今回 紹介の冊子
   にそれらしい設置は見当たりません。
 
 ( 話は戻ります。 国産第一号を製作した齋藤葵一は西川寅吉と同郷でした。 そして、真鍮の薄板から手作業でリードを
 削り出すことができたほどの優秀な人(川上楽器の川上謙治氏談)で、西川寅吉の信頼を得ていたと思われます。
 徳川頼貞侯爵は、1920年「南葵楽堂」のオルガン設置に際し、日常のメンテを考え、英国人技師の手伝いにと日本楽器に
 依頼があり、 且つ西川寅吉のもとに居た齋藤葵一の参加を要請、齋藤葵一は英文は読めても話せなかったので、 西川寅吉
 が通訳をした、とのことです。その翌年1921年(大正10年)齋藤葵一のいた西川風琴製造所は 日本楽器製造に 吸収され、
 1932年聖テモテ教会の国産第一号オルガン製作へと続きます。吸収に至る経緯ですが、西川寅吉の リードオルガンは高い
 評価を得ていたことから、 会社の将来を考え息子は アメリカのピアノ・リードオルガンメーカーに研修、 娘は 東京音楽
 学校へ、と後継者作りを進めたが、共に夭逝しています。)

   寅吉も1920年死去。 後継者問題が大きな要因となり、1921年日本楽器製造に吸収。日本楽器は横浜工場と西川ブランド
 を残し、 斉藤葵一はじめ旧西川の人達は 「日本楽器横浜工場 西川オルガン」として1938年(昭和13年)まで生産を
 続けました。 オルガン愛好者の間で 西川オルガンの評価は、現在益々高まっています。「オルガンの文化史」の 著者は
 「ヤマハの隆盛の陰には西川家の没落があったことを記憶しておきたい」と記しています。

   【後記】

 出展を思い立ったのは 6年前のあるOBとのメールからです。   出展資格は関東甲信越のOBかと思い、札幌在住ながら 当該
 地区に再入会しました。これは思い違いでした。 「パイプオルガン」のことを書いているのに「リードオルガン」のことが
 多く出てくることに若干の違和感を持たれた方がおられると思います。 私が最初にストップ付きリードオルガンを扱ったの
 は渋谷店在籍時ですが、パイプオルガン業務に就いて両者の関係、オルガンという楽器の意味が解りました。
 以来、パイプオルガン担当セクションは、唯一生産していた品番「 No5 」のリードオルガンの生販在に 関わり、生産職場
 を引受け、日本・関西キリスト教音楽講習会で修理相談を受けました。

 パイプオルガン担当セクションが ストップ付きリードオルガンに関わった大きな要因は、1980年代後半、 私が出席した
 日本キリスト教団賛美歌委員会でのご指摘です。 「教会は、ヤマハ音楽教室の開設で協力もしたが、教会のストップ付き
 リードオルガンが故障しても楽器店は、修理は出来ないと買換えを勧める。  そして礼拝に向かないエレクトーンを買う
 教会が多い。その後買えれば教会向け電子オルガンに、経済的に豊かな教会は、パイプオルガンに換えている。 時代かも
 しれないが、リードオルガンの寿命はまだまだ長いのに修理できないので破棄せざるを得ない。


 この解説文作成には半年近くかかりましたが、研究者でもないので資料も調査方法も十分ではなく、 記載誤りがあるかも
 しれません。参考文献は読みましたが、日本リードオルガン協会 赤井励会長はじめ、多くの教会・教育関係者から伺った
 話がベースになっています。

                                               長谷川尚敏(記)



 【A:冊子】  画像はクリックすると拡大します 
パイプオルガンに就いて 表表紙、裏表紙 次第、京都PO  セザール・フランク、東北PO 
(01)目次、P1 リードオルガン (02)P2,P3 リードオルガン説明 (03)P4,P5 パイプオルガン説明   (04)P6,P7 パイプオルガン説明
(05)P8,P9 パイプオルガン説明  (06)P10,P11
  パイプオルガン説明
(07)P12,P13 パイプオルガン説明  (08)P14,P15 パイプオルガン説明
(09)P16,P17 パイプオルガン説明 (10)P18,P19
我国に於けるパイプオルガン
(11)P20,P21
我国に於けるパイプオルガン 
(12 )P22,P23
現上野奏楽堂PO、立教PO  
 (13)P24,P25
朝鮮PO、神戸PO
(14)P26,P27
東京市赤坂区PO、青山区PO
    (15)P28,P29
    東京市日本橋区PO、
    市外多摩川学園PO 
(16)P30,P31
東京府PO、横浜PO  
(17)P32 焼失、
P33 国産POの創製
  (18)P34 国産POの創製、
        P35 聖テモテ
(19)P36 聖テモテ、P37 祝辞  (20)P38,P39 祝辞  
 (21)P40 祝辞、P41 感謝状 (22)P42 感謝状、 P43 仕様 (23) P44 アメリカ、フランス
 P45
アメリカ、イギリスのオルガン
(24)宮内省御用達、発行  





【B:新聞記事】
※古い新聞をコピーしたものの、コピーデータで 内容は、はっきり読めませんが、貴重な資料として添付しました。
 こちらから 
 【C:「日本リードオルガン協会」会報記事】 ・会報データ 2部
1、こちらから 2、こちらから 




出品者top一覧に戻る                             ページの始めへ戻る



<2020/01/10 文責:長谷川 HP編集:後藤>