エッセイ 露崎泰夫
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        埼玉(サキタマ)古墳群と尖石(トガリイシ)縄文遺跡


いつの頃からか、奈良・京都の寺院巡りから拝観料のいらない古墳オタクに入り込みました。
今はいっそ、1500年前の古墳期から1万5000年前の縄文期にも間口を拡げて、現地の資料館
(考古館・歴史館) を足掛かりに膨大な遺跡の宝庫をさ迷っています。

        【埼玉古墳群】 令和3年12月訪問。埼玉県行田市。国特別史跡。

旧利根川と荒川の大河に挟まれた大宮台地に展開する、5世紀後半からの屈指の古墳群。
前方後円墳8基、大型円墳2基、方墳1基と小円墳群が東西500m・南北800mに密集。
8基の前方後円墳は主軸方位が揃い、周濠は長形に統一され、儀礼の場・造出し(ツクリダシ)は全て西側
に配置。古墳の各被葬者が同族の密接な関係を示してる。
大阪南河内の世界遺産-古市(フルイチ)古墳群123基は統一性が少ない。(令和1年3月貸自転車で訪問)

  
   

【尖石縄文遺跡】 令和3年11月訪問。長野県茅野市。国特別史跡。


信州八ヶ岳西南麓の標高1000m尾根に展開する縄文中期の集落遺跡。 昭和5年から現地の小学校教員・
宮坂氏が家族と共に調査研究。戦前戦後を通じ民間人の一貫した収集と学術論考は少ない。
埋蔵品は同地の尖石縄文考古館に展示。 フォッサマグナの糸静線を南から辿った縄文人は、猪・鹿などの
獲物と水源が豊富な落葉広葉樹林帯に定住。尾根一帯を利用した採取生活を営み始める。
その後繫栄した狩猟経済の矛盾は、地球冷涼化による食料枯渇に至ると壊滅的な崩壊となる。 

 

追記:上記【埼玉古墳群】 と【尖石縄文遺跡】 の4枚の拡大写真
 



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 <2022/04/10 文責:露崎 HP編集:後藤>